第7章
フーリエ変換の性質(1): 時間シフトと変調
この章のねらい
- 時間シフトが振幅スペクトルを変えず、位相を周波数に比例して傾ける(線形位相)ことを理解する
- 変調がスペクトルの平行移動であり、実信号の cos 変調では ± に複製されることを理解する
- 時間シフト⇔位相回転、変調⇔周波数シフトという双対の構図を持つ
7.1 時間シフト
第3章でフーリエ変換そのものは習ったお。ここからしばらくは「性質」の章だって聞いたお。性質って、何のありがたみがあるんだお?
ありがたみは絶大だ。変換の式を毎回まじめに積分しなくても、「波形をこういじったらスペクトルはこう変わる」という対応表があれば、計算を一段すっ飛ばせる。今日はその対応表の最初の2行、時間シフトと変調を作る。
時間シフトってのは…波形を横にずらすだけかお? それだけで何か面白いことが起きるとは思えないお。
それが起きるんだ。信号 を時間的に だけ遅らせた信号は と書ける。これのフーリエ変換を計算してみよう。定義どおりに書くぞ。
積分の中に がいて、外に がいて、なんかややこしいお。
こういうときは置換積分だ。 と置く。すると 、。積分範囲は も から のままだ。代入する。
は に関係ない定数だから、積分の外に出せる。そして残った積分は、 そのものだ。
あ、後ろの積分は元の だお! つまり…
結論はこうなる。
**波形を時間で ずらすと、スペクトルには という因子が掛かる。**これが時間シフトの性質だ。
掛かるのが …。これって絶対値が1の複素数だお。大きさが1なら、 には影響しないってことかお?
そこに気づけるなら大したものだ。そのとおり。 だから、
振幅スペクトルは時間シフトでまったく変わらない。変わるのは位相だけだ。元の位相を とすると、シフト後の位相は
つまり位相が だけ足される。これは に比例した傾きだ。だから「線形位相」と呼ぶ。
待つお、直観が追いつかないお。波形を遅らせただけなのに、なんで「周波数に比例して位相がずれる」なんて妙なことになるんだお?
いい疑問だ。1個の正弦波で考えろ。 を時間で 遅らせると になるだろ。位相が ぶん遅れた。ここで大事なのは、同じ時間 の遅れでも、周波数 が高い波ほど位相のずれ が大きいってことだ。
あー…。速く振動してる波は、同じ時間ずらしても、何周期ぶんもずれちゃうってことかお。ゆっくりの波は1周期の途中までしかずれない。
その理解で完璧だ。「波形を遅らせる」を周波数の言葉に翻訳すると、「各周波数成分の位相を、周波数に比例して遅らせる」になる。下のデモで確かめろ。長さ5の矩形パルスを だけ遅らせる装置だ。スライダーを動かすと、上のパルスは右に動くが、真ん中の振幅スペクトルはぴくりとも動かない。下の位相だけが傾きを変える。
ほんとだお! 真ん中の山の形は固定で、下のギザギザの傾きだけがどんどん急になっていくお。位相だけが情報の置き場所なんだお。
そういうことだ。ついでに離散信号版も書いておく。連続の積分が和になるだけで、導出も結論も同じ形だ。
デモはこの離散版を描いている。パルス中心が にいるから、位相の傾きは だ。
7.2 変調
対応表の2行目、変調に行く。今度は波形を時間でずらすのではなく、波形に回転する複素指数を掛ける。 のフーリエ変換を計算しよう。
掛け算かお。さっきは引数をずらしたけど、今度は外から掛ける。…なんかさっきの裏返しっぽい匂いがするお。
その匂いは正しい。定義に放り込むぞ。
掛けた と変換核の が指数の肩で合体して、 になった。これは の定義式で のところを に置き換えたものだ。だから
波形に を掛けると、スペクトルが だけ右に平行移動する。
おー、きれいだお! 時間シフトはスペクトルに を掛けた、変調はスペクトルを引っ越しさせた。本当に裏返しだお。
その対称性は 7.3 で整理する。先に実用上の問題を片付けよう。 は複素数だから、現実の信号(実数値)に掛けると複素信号になってしまう。実際の電波や音でやりたいのは、実数の信号 に実数の を掛けることだ。これを計算するとどうなるか。
はオイラーの公式で… だったお。さっきのを2回使えばいいのかお?
自分で道筋が見えてるじゃないか。やってみろ。
えーと、 だお。前半は式 (7.6) で 、後半は がマイナスだから になるお。半分ずつ足して…
完璧だ。まとめるとこうだ。
実信号に を掛けると、元のスペクトルが と の2か所に、半分ずつコピーされる。
なんで2か所なんだお。1か所に引っ越すんじゃダメだったのかお。
ダメというか、できないんだ。1か所だけにずらすには複素指数1本が要るが、実数の信号を作るには第2章でやったとおり正負の回転をペアで使うしかない。 は正負の回転がペアになったものだから、スペクトルも正負の2か所に割れる。実数であることの代償だ。
でも係数が ってことは、高さが半分になってるお。情報も半分に減っちゃったってことかお? なんだか損した気分だお。
そこは安心しろ。減ったんじゃなくて、1か所だったものが2か所に分かれただけだ。第9章で「総量(パワー)」をきちんと測る道具を出すが、片方の山の高さが半分でも、それが正負の2つあるから足し合わせれば帳尻が合う。エネルギーで言えば、各山が になっても2つあるから、合計は元の半分——というのは「掛けた の振幅が1で、その実効パワーが 」というだけの当たり前の話で、 の中身(情報)は両方の山にちゃんと丸ごとコピーされている。だから受信側で片方を拾えば元に戻せる。分散しただけで消えてはいない。
チェックを外してると山がまるごと右へ滑っていって、入れると左右に分裂して半分の高さになるお! 物理の電波の話、これだったのかお。
そう、これがAMラジオの入り口だ。マイクで拾った音声 は数 kHz までの低い周波数しか持たない。そのままアンテナに流しても効率よく飛ばない。そこで搬送波 (例えば 1000 kHz)を掛けてやると、音声のスペクトルが搬送波の周波数 のまわりに引っ越す。電波として飛ばしやすい高い周波数帯に音声を乗せ替える――それが変調という言葉の由来だ。
なるほどだお。スペクトルの引っ越し業者が変調だお。受け取った側は逆に引っ越し戻せばいいわけかお。
そういうことだ。受信側でもう一度 を掛ければ、スペクトルの一部が原点に戻ってくる(復調)。詳細は省くが、変調が「スペクトルを動かす道具」だと掴めれば今は十分だ。
7.3 双対性の整理
今日の2つを並べて眺めよう。
うわ、見事に対称だお。
- 時間でずらす ⇔ 周波数で位相を回す( を掛ける)
- 時間で位相を回す( を掛ける)⇔ 周波数でずらす
時間の世界と周波数の世界で、「ずらす」と「 を掛ける」がそっくり入れ替わってるお。
それを双対性という。時間領域と周波数領域は鏡のような関係にあって、片方で「平行移動」にあたる操作は、もう片方では「位相の回転(複素指数の掛け算)」にあたる。この鏡の構図は、次の第8章の「たたみこみと積」でも、もっと劇的な形でまた出てくる。
性質の章、思ったより面白いお。計算をサボるための表どころか、時間と周波数の世界観そのものだお。
- 時間シフト 。振幅スペクトルは不変、位相が と周波数に比例して傾く(線形位相)。離散版も で同形
- 「波形を遅らせる」=「各周波数成分の位相を周波数に比例して遅らせる」。高い周波数ほど位相のずれが大きい
- 変調 。スペクトルの平行移動
- 実信号の cos 変調 。±に半分ずつ複製される(AMラジオの原理)
- 時間シフト⇔位相回転、変調⇔周波数シフトは双対の関係